青色7号

思ったこと考えたことをひっそりこっそりそろそろと

夕暮れの魔物

「もし、そこの人」

と肩をたたかれたら、決して振り向いてはいけない。

 

俺は振り向いてしまった。

落とし物だろうか、キャッチセールスの類いだったら無視すればいい、そう思って振り向いた。

 

声をかけてきた奴は服こそ違えど俺とよく似た男だった。

きちんとプレスされたダークスーツ。

光沢もないその黒は、光を跳ね返すことがなさそうだった。

 

コンクリートジャングルと化した、首都東京の山の手の一角。

暑いはずなのに、その男の周りだけはまるでエアコンでも効いているかのようだ。汗一つかかずに涼しげな顔をしている。

 

「なにか」

はりつく喉から必死に絞り出した返事がこれだ。

 

「私は貴方の片割れなんですよ」

 

はぁ?

残念ながら、俺は双子ではないし、双子を称するほどに仲のいい友人もいない。

もちろん生き別れの兄弟だっていない。消息くらいは知っている。

 

「影、なんですよ」

男は薄ら微笑む。

「影?」

「そうです、貴方のね」

 

影が一人歩きしてどうするんだ。物体から離れてふらふらし、元の物体に声をかけるなどありえない。

反射的に足元を見やる。

見えなかった。そこに生まれるはずの「影」はきっちり二人分、存在していなかった。

 

思わず目の前の男に視線を移す。

「分かっていただけましたかね?」

そうすることを予測していたかのような男の反応。

気持ちが悪い。こいつは一体、

「お願いをしに現れたんですよ」

 

先読みしやがった。ろくなお願いじゃないはずだ。

しかし、好奇心には抗えない。

 

「どんな用だ」

「影を交代しませんかねぇ?」

「しない」

何でわざわざ今の生活を捨てて、こいつの影にならなきゃいけないんだ。

 

「ほぉ、本体は拒否する権利があるのか。知らなかったよ」

「今まで拒否する権利というものはなかったからなぁ。付き従う、影だから。」

男はまたうっすらと笑った。嗤った。

背筋に寒気が這った。

男が、影が、俺を覗きこんだ。

薄ら笑いを浮かべて。顔を覗きこんでくる。目を逸らせない。

影の目に怯えた俺が映って、だんだん大きくなって、それから、

暗転。

 

男は歩き出す。仕事を終えたのだから一息つこうじゃないか。

この世界のことは何も知らないのだから、ゆっくりと知っていけばいい。

足元に長く伸びる俺に向かって呟く。

 

「もし、そこの人」

 

あぁ、一つだけ知っている。

この声に振り向いてはいけない。

 

俺の足元に、俺はいなかった。