不思議

負けに不思議の負けなし、とは言うが、

勝ちにも不思議の勝ちはない、とソウサンの場合においては感じる。

 

ソウサンと旅行に行った。

何だかんだいろいろなことが首尾よく運び、有り体に言えば運がよかった。

時間を有効に使って充実した時間を過ごすことが出来た。

ので、私は、「運良かったね」と口走ってしまったのだ。

でも、運がいい、と感じたことの内訳をきちんと見れば、ソウサンが事前にきちんと下調べをして、当日のイメージを持っていて、当日行動しながら、予定や時間をマメに確認してくれていたゆえのことばかり。

運がよかったんじゃなくて、ソウサンが相応の気配りをしていてくれたのに。

運なんていう不確実なものじゃなくて、小さな心配りを続けたソウサンに相応の結果が返ってきて、私はそれに便乗させてもらっただけなんだ。

それを「運がいい」などと思ってしまうほどに私は何もしなかったのだと、怖くなった。

運なんてものじゃない、隣でずっと笑っていたお兄さんのおかげだったのに。

 

ソウサンはいつだって準備は念入りだし、努力、確認は怠らない。

だからソウサンの勝ちは運なんてものじゃない、不思議の勝ちなんて存在しないと思っている。不思議の勝ちに見える裏であの人は努力を積んでいる。

今回の旅行もそうだった。

沢山笑った。美味しいものもたくさん食べた。

鉄道の写真も撮れたし、ひこにゃんの写真も沢山撮って、城の空気も味わった。朝の城はいい。

表面だけ、カメラやスマホに残ってる記録だけ見れば、そういう旅行。

だけど、そこに残らないものというのもあって、ソウサンの行動はまさにそれだった。

一体「ナナサン」って何だろう。ソウサンがいなかったらナナサンはきっと満足に旅行などもうできないのかもしれない。もはやソウサンの鞄のおまけである、自走式の。

感服を通り越して自分の浅はかさに恥じ入るしかない。

これがいわゆる「当たり前」に「いつものやつ」に感じさせてしまうソウサンマジック。魔法じゃない、現実の彼の積み重ねなんだけど。

ソウサンに自分が出来ることって何なんだろう。

今は、せめて病気が寛解するようにして、1日でも長く生きることなのかもしれないが。

またソウサンと琵琶湖に来られたら。

いろんなことを思い出して、きっとまた泣きそうになるのだろう。

楽しかった旅行なのに、なんで今泣きながら日記を書いているのか、よく分からないが。

またどこか旅行に行けたら幸いである。

感謝と敬愛の念を込めて

 

2017.5.4