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寿命

日本人の平均寿命が過去最高を更新したことについて。

 

おそらくここから更に更新されていくことはないのではないか、と憶測を巡らせることも可能だなと思ったわけです。

以下、憶測を書いていくのですが、おそらく不適切な表現が出てくると思われます。

どの世代についても、非難するつもりはここではないことを添えておきます。

 

憶測の根拠(なんだか変な表現だ)は、高齢化社会が進むと同時に、日本人の世代交代も確実に行われている、ということと終末期医療体制の転換期に突っ込んでいることである。そして寿命には延命での年齢も含まれていること。

今の80代~90代は戦後を経験し、何もない中、とにかく生きることを至上命題として戦ってきた世代である。言い換えれば、生きることこそ最善、であった。そう信じて生きてきた。

70代は働くことが至上だった。就職は売り手市場。働けば相応の対価が手に入り、バリバリと地位と財産を築くために地方から都会に就職もしている。夢がある時代。東京五輪開催当時、ちょうど青年期。夢と希望に満ち満ちた頃だったのではないか。

この世代(第一世代とする)がちょうど、寿命を迎えつつある。健康に年を重ねられている人が一体どれほどいるのだろう。

話を進める。この世代の少しあとの世代(第二世代とする)は、日本にお金と物資の余裕がある頃に誕生している。余裕によって、「生きるって何だろう」「死ってなんだろう」「何が何でも生きるのっていいこと?」と終末期医療について考えだした世代。

さぁ、最後の第三世代は、現在生きることにすら希望を見いだせないんだけど、老後なんて怖くて考えられない、年金制度?食いつぶされてるんでしょ?そんな世代である。

さぁ、ざっくりと世代分けが済んだ。

第一世代が元気な頃に、健康と長寿はお金を出してでも買う、「とにかく生きることが一番」としてお金をとにかく使って作られた高齢者施策が今なお生きている。

が、病院のベッドで意識朦朧呼吸も絶え絶えな第一世代の看護を行うのが、終末期医療について考え始めた第二世代。

どうなの、こんな苦しそうな様子でもなおチューブにつなぐの?と考えるようになり、「安楽死」というワードが頭を過ぎる。

現在では、安楽死ほど積極的介入ではないけれど、でも積極的な延命治療は希望しません、という自然派志向というとおかしいが、そういうポリシーも主流になりつつあるらしい。

看護して疲弊しながら本人の意思が確認できないから悩んで、この選択をする第二世代を第三世代は間近で見ている。第一世代が、生きたくても生きられなかった先代や同輩を間近で見てきたのと同じように。

将来の話に移るが、第二世代の多くが病院のベッドで過ごすようになった時代、看護する第三世代は、一体どういう行動をとるのか。

おそらく病院に入る前から、第三世代に自分の意思をはっきりと伝える第二世代が増えるのだろう。死や生について考え始めた世代であり自分の看護疲れも知っているからこそ。だから、第三世代は良くも悪くも躊躇少なく、延命治療の中止を選択するだろう。延命の年齢が短くなってくるのである。

単純に健康寿命が伸びれば、また話は変わってくるが、今の状態で世代だけ交代していけばおそらく平均寿命が下がるのである。

別に、平均寿命が短くなるのが悪いとか、伸びるからよいとか、そういうことを言いたいんじゃない。そうなるかもしれない、と言いたいだけだ。

第一世代が作り上げた高齢者施策が今も生きていて、お金があれば進化した医療を受けられて、いわば単純に数字上での寿命ならお金で買えるようになった時代を駆け抜けた世代が一斉に高齢者施策におぶさっている現状、第二世代がおぶさる頃にはかなり破綻しているのだろう。お金で買えるけどお金で買えない人のための高齢者施策だもの、破綻したら「寿命はお金で買えます」だけが独り歩きするのは目に見える。

そろそろ決断してもいいのではないか。死だけでなく生についても。

 

あー、上手くまとまらなくなってしまった。お風呂場のアイディアマジックって何でしょうね。書ける気になっちゃうんだから不思議。