さらさら

さらさらを聴くと、ソウサンを思い浮かべる。

というより、ナナサンがソウサンを思い出すときのBGMがさらさらなのだ。

 

ナナサンは偏屈である。

そして偏屈ゆえに、強要されることをひどく嫌う。ついでに、どうにもならないことまで嫌う。完璧主義が悪い方に作用した時も眉を顰める。

ソウサンは、そうやって些細なことで波立ちがちなナナサンの心を上手く静めてくれている。二人にとって嫌なことが起きた時に、自分が嫌だなと思う前に真っ先にナナサンの面倒を見なくてはいけないのだから、ソウサンは大変である。

何かのボランティアなのか、現世で徳を積んで来世に賭けようというのか。

そんなことはさておき。

ソウサンの将来の目標は、「ナナサンをぎゃふんと言わせること」らしい。

欲がないというよりは、ナナサンを何か勘違いしている気がする。

そんな日もそう遠くないし、その時が来たらあっさりと白旗を揚げるつもりだ。

脳みそというものは、超えられてなんぼである。流れない水が澱んでいくように。

しかしながら、こちらとしても、「超えられる者」として役目を全うしなければいけない。それは、超えられるその時まで、不敵に笑い、傲然と構えていること。

君が超えるなんてそう簡単にはさせないさ、と言い放つことである。

 

ぎゃふんとナナサンが悔しそうに口にした時、このブログはまだ続いているだろうか。

このブログだって、いつ閉鎖、消滅したっておかしくはない。書き手はとんだ偏屈気まぐれ人間だし、ゴールだって存在しない。

そして、このブログが続くことが当たり前ではないのと、明日が当たり前には来ないこととは大して違いがない。明日が来る方がずっと確率としては高いけど。

当たり前ではない。

ナナサンが紅茶を飲みながら今日記事を更新することも、明日太陽が東から昇ることも、ソウサンがナナサンの隣にいてくれることも、面倒を見てくれることも、知識を張り合ってくれることも。

当たり前ではない。

さらさらの歌詞でこの記事はいったん締めます。

 

いつも気にしていたいんだ 永遠なんてないから

少しでも楽しくなって

遠く知らない街から 手紙が届くような

ときめきを作れたらなあ