青色7号

思ったこと考えたことをひっそりこっそりそろそろと

書き続ける

書き続ける以外に選択肢がないのだろうな、と自己解決した昼休み。

どうも、ロキソニンを忘れた時に限って偏頭痛が出るナナサンです。

ロキソニンを忘れるなんて、そんなこと本当に稀なのに。

 

何でも、その界隈でひとかどの人物になるためには、その界隈の何かを続けることしか道はないんだろうな、と思ったわけです。

別に有名ブロガーになりたいわけじゃない。アフィリエイトしてるわけでもないし。

ただ、ぼんやりと思った。

今日はいろんなことを考えた。しばらく思い出さなかったような遠い記憶まで、濁流のごとく脳内を巡った。思い出せば、当然感情が頭をもたげる。その感情を消化するには、きっと書き続けるしかない、そういう結論に至った。

いや、過程はもっと複雑だったけど、いかんせん書くのが面倒くさい。

特段変わったことがあったわけじゃないのに、面倒なことを考え出すのがナナサンです。

今日は早く寝ます。

 

にしても、実際、このブログがもっと人に認知されるには、ちゃんとコツコツ書いていくしかないよね。内容も考えなきゃだけど。

回帰

っていうほど大げさなものではありませんが。

 

実は、文庫化されている村上氏の小説で、一つ読み終わっていない作品があります。

1Q84

とても話題になって、母が買ってきたのを覚えています。発刊当時はBOOK2まででした。

ナナサンにとって、初めての村上作品でした。

結論から言えば、合いませんでした。味気のないガムを噛まされている心地で読了しました。

だからBOOK3が出ても読む気はさらさら起きなかったし、金輪際自分の選択で村上春樹は読むまい、と思っていました。

それがひょんなことから、前期3部作は面白いよ、と勧められ、面白さを発見したのが随分昔。。

前期作を読み終えた後は、もう読むまい、そう思っていたのに、今になっていろんな短編、エッセイを買って読んでいる始末。

案外敬遠するほどのものではなかったらしい。大人になったのかもしれない。

当時に比べれば読書の嗜好も変わっているし。

 

それでも手を付けなかった、1Q84のBOOK3。

初めての1Q84を読んでから随分の年月が経ち、環境は何度も変わり、自分自身にも沢山変化がある中で、曰く付きの小説になってしまっていたようです。

読むものに困っていたからだけど、これも一つのきっかけと思って読んでみています。読了すれば、文庫化されている村上氏の小説は全部読んだことになるはずです、漏れがなければ。

いろんな記憶が勝手に付着していった不思議な小説。どうなることやら。

蔵書印

書籍ネタの連続ですみません。

が、このブログは内容に非常に偏りがあり、大抵書籍ネタです、悪しからず。

 

蔵書印がほしい。

もう読み終わって、もしかしたら売るかもしれない本には押さないが、これはどうしても手元に置いておきたい、そういう本にだけ、押したい。

星新一ショートショート全集とか。(もう少ししたら買います、たぶん)

 

半年くらい前に大量に本を売却し、本棚の一角がちゃんと空き、ダンボール箱が無くなったにもかかわらず、既に本棚はミチミチの様相を呈し、寝床にも本が積まれている我が部屋の状況を見て、家族だから容認してくれているが、誰かと共同生活を始めたら迷惑極まりないだろうと思ったわけです。

まぁ、ソウサンも書籍好きなので、たぶん容認してくれるだろうが、空間物理学的に容認されない気がするのだ。

なのに、考えることが蔵書印。バカじゃないのか。

蔵書印を作る前提に、本の売却もちゃんと考えたから許してもらいたい。

蔵書印を押されるのは、ナナサンがずっと手元に置いておきたいと思った、いわば少数精鋭のスペシャルな本たちだけなのだから。

 

こんなことをいきなり本棚を見つめて考えている。

勘のいい方ならもうお察しだと思います。

ええ。今日も本を買いました。いつかまた記録にて紹介します。

戦慄したこと

先ほど、『村上ラヂオ3』を読了しました。

何で3なんだ?1、2があるはずだろ。

はい、ごもっともです。

でも、今日ふらふらした本屋さんには3しか置いてなかったんです。

 

ここまで書いて、ナナサンはふと不安に襲われました。

「あれ?村上ラヂオ、どこかで見たぞ、それも今持っている村上氏の他の文庫と一緒に」

だが、実はこの村上ラヂオ、何度か買おうか悩んで、今回購入を決意したら3しかなかったんですね。

ナナサンのおぼろげな記憶は、もしかしたら他の書店の書架で他の著作と一緒に並んでいる光景なのかもしれない。

今までそんなことなかったのになぁ。蔵書管理は頭の中で完結してたのに。

今となっては、その本を持ってないことは確かなのだけど、読んだことがあるかどうかも怪しくなっていたりして、書店でムダに悩むことも増えた。

それに加えて、買ったかどうか分からないときている。何かこれ、家にありそうな気がする、けど、どうだったっけね?と悩む。

積読が増えるとそういうことになるんだよね。今までは積読なんてものが存在しなかったから、読んだことなければ則ち持っていない、という式が成り立っていたのに。

 

スマホで蔵書管理が出来るアプリが出てきたが、意外にアプリに情報を入れる方法が面倒くさい。いちいちAmazonに飛んだりする。ISBNから引っ張れないものかね。

(どんだけISBN信者なんだ)

というわけで、蔵書管理という新たな壁に直面しつつあるナナサンでした。

 

 

 

宣言通りの

好き放題やる休日。

まぁ深夜と早朝に腹痛と闘うというアクシデントにより、だらだら眠ることは出来ませんでしたが。

昨日、夜遅くにアイス食べたのがいけなかったんだな。

ナナサンはすぐに腸が動かなくなります。全くもって面倒な体質です。

 

今日は本を2冊読みました。

昨日1冊読んでいるので、それも合わせて紹介します。

 

・『極悪鳥になる夢を見る』 貴志祐介

鍵のかかった部屋』や『悪の教典』で知られる作家のエッセイです。

鍵のかかった部屋』シリーズが好きだったので購入。なんて鋭い作家さんだったのだろう、と驚嘆しました。悪や、異に対する感受性が豊かで、その上考察が鋭い。

こんな人が書くんだもん、そりゃ怖いよ、と納得。

考察をきちんとしているからこそ、現代国語の教材として採用したいくらい。

一読の価値、大アリです。今まで読んだエッセイの中でも群を抜いて興味深い。ただ面白いエッセイは多く存在するけど、興味深いのは異色。異彩を放っています。

ファンの方も、何となく苦手な方も、もし良ければちょっとだけ。

 

・『海辺のカフカ』(上・下) 村上春樹

ついに、文庫化されている村上氏の小説は全て読み終わってしまった……

まさに、父親殺しの文学です。そして、父を、自らのルーツと向き合って受容し乗り越えていく物語です。メタファーだらけなので、こう、直感的に理解する人と、表現がまどろっこしいと感じる人といると思います。どちらが良い悪いではありません。それぞれが、それぞれの感想を抱くということが大事になる小説でした。

こんなにドラマチックな体験ではなくても、皆さん一度は人生のエピソードに残る、成長体験をされていると思います。あの日の自分に思いを馳せてみてもいいかもしれません。

 

 

今日の読書記録は以上です。

自分は今まで何冊くらい本を読んできたのだろう、と最近思います。

そして、今、ものぐさなためパソコンを使っていないので、データに読書記録を打ち込んでいません。アナログでは記録しているのですが。

図書館みたいに、バーコードリーダーで蔵書管理出来たらいいのにな、という思いが日に日に強まっています。で、クラウドにでもデータベース作っておいて、今みたいにパソコン立ち上げない時は、クラウドにアクセスして、ISBNを手で打ち込んで登録。蔵書を売却する時などもまたその本のバーコードをピッとして、状態を選択して更新。

そういうシステム、家庭用でもないのかしら。あったらいいな。ソウサン何か知っているかな。もしかしてソウサンなら作れるのでは……?(期待しすぎか)

何なんだ

元々の体の性質として、ショートスリーパーなんじゃないかと思うナナサンです、おはようございます。

幼少期の家庭環境により、寝ないとダメな体質だと信じ込んでいたし、確かに夜早く眠くなる体質だったけれど、眠りは昔からかなり浅かったタイプ。

いろんな物音や振動などで眠りから引っ張りあげられるけど、周りが寝ているから、ひとまず布団で静かにしていました。

最初に体でおかしくなったのは睡眠だけど、元々眠りが浅いからおかしくなっていることにしばらく気が付かなかった。今ではもう自力では全く眠れなくなっていて、薬を常用している。

薬を使えば元の眠りの浅さをカバーするかのように眠りの世界に叩き込んでもらえるのだが、やっぱり何かあると薬関係なく起きるようである。

最近薬飲んでても4時間くらいだもんね、寝てるの。

今日は寝坊してやろうと意気込んでたら腹痛でそれどころじゃなくなって、しっかり目が覚めるし。

というわけで、何となくブログを更新している次第。

眠いけど眠れない、そんな体質。

休日論

ナナサンの持つ、碌でもない自論の一つがこれである。

 

「自堕落な休日こそ贅沢である」

 

自堕落であればあるほどよい。

なんかもったいない気がして、家にいられずどこかに何をするわけでもなく出掛ける、これこそもったいないの極みである。

※意見には個人差があります。

 

普段、仕事や家事に追われ、いやが応でも規則正しい生活を強いられているのだから、休日は普段できないことを存分にする絶好のチャンスである。

普段出来ないこと、それが自堕落な生活なのだ。

普段から自堕落です、という方もいるだろうが、それでも翌日のことを考え無意識にセーブしている自堕落なのだ。

もちろん、何もせずに寝てる、それも自堕落だが、何も寝ているだけが自堕落ではない。自分のやりたいことを時間を気にせず、存分にやる、これが自堕落なのだ。

堕落という言葉に語弊があるが、やりたいことのために生活リズムが崩れたり、多少だらしなくなっているところが堕落という言葉の所以だろう。

休みの日にやることを存分にやるために不要なものを排除し、思うままに時間を使う。

これが最高の自堕落だ。

ダラダラ出来ない毎日を過ごすからこそ、ダラダラ自分のやりたいことをして過ごすことは贅沢なのだ。

 

というわけで、ナナサンはこの碌でもない理論、もとい屁理屈を振りかざし、すでに自堕落スタイルに入っている。

 

どこに行かなくたっていいじゃないか。引きこもったっていいじゃないか。

人に言えないような休み、最高じゃないか。

 

※皆様分かっているとは思うが、日々、きちんと仕事をし、休み明けにこの自堕落の余波を残さないことが大前提である。