青色7号

思ったこと考えたことをひっそりこっそりそろそろと

3日で飽きる

ナナサンは三日坊主です。未知のものに手を付けるけど、それが一体どういうものなのか分かると満足します(飽きます)。

 

だからブログもまぁよくもここまで続いてるな、とは思う。

 

だけど、サボってるんですよ、読書記録。

最後の読書記録カテゴリの記事がおよそ2ヶ月くらい前。

2ヶ月サボると人間は結構な量の本を読むんですよね。

そうすると解説とかつけて紹介するのも面倒くさくなる。本を読むごとに更新すればよかったものを。

と、いうわけで、ほぼ書名と著者名だけですが、以下に羅列していきます。

こうやって羅列すると大したことない冊数なんだけどね。

 

・『村上ラヂオ』1〜3  村上春樹

「決心なんて所詮、人生のエネルギーの無駄づかいでしかない」

という文に惹かれる。

3については、読了したと書いてある記事が存在しました。バーコードリーダーで書籍管理したいという話の時に。

 

・『1Q84 BOOK3』(前)(後)  村上春樹

この小説にいろんな曰くがついてしまっていて、最後まで読む気になるとは思わなかった作品。

 

・『片想いさん』  坂崎千春

ナナサンの大好きなSuicaのペンギンの生みの親、坂崎さんのエッセイ。

 

・『ポプテピピック』1・2  大川ぶくぶ

前から興味はあった。2が出たから読んでみようと思いました。

こういうの好きなんだよ、なんだか。

 

・『アシモフの雑学コレクション』  アイザック・アシモフ

ただひたすらにアシモフの雑学が披露されていくだけの淡々とした著作。

なのに、驚くことと知ることは人生の楽しみである、と思わせる。

おすすめしたい最大の理由、訳者が星新一

 

・『騎士団長殺し』第1巻・第2巻  村上春樹

あー、ついに手を染めた。世間がわーわー騒いだ本を選んでしまった。文庫を待たずに。村上春樹にハマってしまったからしょうがない。

 

・『変な学術研究』1・2  エドゥアール・ロネ

うーん、何かで見て、入手したんだけど、思ったほど掴まれなかった作品。

歴代のイグノーベル賞調べてる方が面白いとは思います。

 

・『星を継ぐもの』  J・P・モーガン

SFのお手本のような話。人類が初めて月に行ったら、すでに人のような生物がそこで死んでいたけど、これってなぁに?という話。

結末は…読んで確かめてください。

 

・『空想自然科学入門』  アイザック・アシモフ

うん、これは入門書ではないです。ある程度理数の素養がないと読むのにとても時間がかかります。そういえば、ナナサン、大学生の時にアシモフ苦手だったわ、と思い出しました。

 

まだ終わらない。たぶんもう少し。

・『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』  P・K・ディック

はい、これはバッサリ斬ります。

死ぬの?死なないの?どっち?

情感オルガン要る?

 

・『ウは宇宙船のウ』  レイ・ブラッドベリ

これ、タイトル上手く訳したよなぁ、と思いました。原題は載せません。

たぶん今この本は段ボール箱の中だからです。笑

ブラッドベリが持つ、みずみずしくてハリのある情感たっぷりの短編集。

 

・『ゴッド・ガン』  B・J・ベイリー

えーっと…自分のノートには当たりって書いてあるし、厚さの割に値段が高いけど、それでも買う価値はある、とまで記載していあるのに、

全く思い出せません。どんな話だったんだろう。

ボルヘス好きなナナサンの目に留まるんだから、そういう話だと思います。

ブラックユーモアだと思います。

 

・『太陽の黄金の林檎』  レイ・ブラッドベリ

ブラッドベリは短編の方が生き生きしてると思うんだ、ナナサン。

「草地」のラストなんてまさにそう。

いろいろ琴線に触れるものがあったらしい1冊。

 

・『人間以前』P・K・ディック

これも、ノートに記録をつけた時点でいつ読了したか分からない本。

でも、読んでないのかと思って各編目を通すんだけど見覚えがある、というもの。

これといって特筆すべき点はないけれど、人間の心理の突き方は上手。

が、こう、セールスポイントがいまいち見つからない。

 

・『キミと話がしたいのだ。』1〜5  オザキミカ

・『女子高生の無駄づかい』1〜3  ビーノ

・『タヌキとキツネ』1・2  アタモト

これらはコミックです。マンガ楽しい。

 

腕疲れました。今日読了した本は、今読んでる続きが終わったら紹介します、おそらく。

これで、あまりに読書記録を怠ると痛い目に(物理的に)遭うことが、身にしみて分かったので(特に右腕)、これからはそこそこマメに記録は更新したいと思います。

もうどんな話だったかも思い出せないんじゃ記録じゃないからね。

 

腕疲れたので、この記事は終わりにします、では。

落ち物パズル

お題「好きなゲーム」

 

そう、ナナサンは落ち物パズルが好き。

テトリスとかぷよぷよとか。

ぷよぷよはたぶん人生で初めて遊んだポータブルゲームだったのではないかしら。

万歩計についてるミニゲームとかは除いてね。

今同世代の友達に言っても何故かわかってもらえない、ワンダースワンで遊んでました(因みに色はスケルトンブラック)

たぶんその頃同世代の子たちはゲームボーイだったのかもしれない。

ナナサンが買ってもらったのはゲームボーイカラー(スケルトン。どんだけ中の基板好きなんだよ)だったけど、記憶に強く残ってるのはワンダースワンなんですね、なぜか。

で、話を戻して、あれで落ち物パズルにハマるんです。

とか言いながら、ぐんぺいもやり電車でGOもやり、まぁよく両親が放任してくれてたな、と思います。

叔父がもう使わないから、と言っても初代プレステを譲ってくれた時に買ったソフトがテトリス

あの初代の背景がいろいろ変わったり、BGM選べたり、なんやかんやで芸が細かかった気がする。初めてのテレビゲームに感動してたからかな。

紆余曲折あって、DSLight買った時もテトリス買った。

携帯をスマホにしたから、いざ、ぷよぷよを!と思ったら、なんてこったい。

ぷよぷよってマッチ式パズルでしたっけ?上からちょっとずつ降ってくるスタイルが好きだったのに。

そんなこんなで、ナナサンは落ち物パズルが好き、たぶん。

よく分からない

お題「インスタ映え」

 

未だによく分からない言葉の一つ。

最初にこの言葉を音声で聞いた時は、「インスタ蝿」に変換され首を捻った。

インスタグラムでたくさんいいね、コメントをもらえそうな景色やモノを形容する言葉らしい。

最近はそれを狙った奇抜な食べ物飲み物が多くなってきた。さすが、皆インスタでの他者の反応を気にしているらしい。そして反応がほしくていろんな飲食物を渡り歩く。

そうでなければ、そんなに「インスタ映え」するものが巷に急にわんさか現れたりはしない。

 

ナナサン自身としては、その「インスタ映え」する飲食物が可愛いというよりは奇抜にしか見えない。

例えとしてはおかしいかもしれないが、所謂キラキラネームに遭遇した時のような気持ちになるのだ。

かつて、吉田兼好が「徒然草」の中で奇をてらうことに苦言を呈している。本質を考えずにただ目立つために奇をてらうことは浅はかである、という趣旨のことを書いている。書かれている段も覚えておらず、引用も出来ずに申し訳ないが。

あくまで推測でしかないけれど、「インスタ映え」しか考えないような飲食物の写真にいいねを押す人は

「(自分が食べるわけじゃないから珍しくて)いいね」だ。

だからエスカレートしてどんなに怪しそうな食べ物でも、どんなに食べ物を粗末にしても誰も止めはしない。自分じゃないからオモシロイ、そういう集団心理。

そんな観点で、少し立ち止まってみないか。

今、キミがいつものように写真撮ってインスタに上げて、反応を待ちながら食べようとしているその食べ物でキミがお腹を壊そうとも、いいねをくれた大勢の「みんな」は誰一人責任をとってはくれないし助けてもくれない。

雨降り

 あぁ、雨が降っている

 

 オレは薄暗い通路のようなところを歩いている。どれほど歩いてきたのか、何時頃なのかも分からない。ただ、雨が地面を打つ音が聞こえる。

 ザーザーと音がしている。昔は雨に打たれて歩くのが好きだった。

 例えようのない倦怠感と虚しさに襲われている。迷いは渦巻き、鬱屈した不満が爆発しそうだ。なのに、もうどうにもならないのだという諦めが、不満を圧縮してしまう。雨音はさらに大きくなった。

 通路の外に出る。

あぁ、雨が降っている。いつ止むのだろう。止まなければいい。

雨に全てを洗い流してしまいたい。雨はお構い無しに降っている。

また雨に打たれて歩こう、と思いながら諦める。

足を動かすことが出来ずに立ち尽くす。こんな雨の日にも人は街に繰り出している。立ち尽くすオレにお構い無しに通り過ぎて行く。雨と同じだ。こんなにも人はいるのに、立ち尽くす人なんて自分しかいないなんて。この世界には自分しかいないのかもしれない。

そうか、誰かと、アイツと雨を共有したいんだ。雨が降っていること、空が灰色なこと。

「アタシ達にお天道様は眩しすぎるね」

そうだよ、オレには今でも太陽は眩しすぎる。お前はどうだ?きっと変わっただろう。それが生きるということだ。

降り続く雨に気が狂いそうだ。雨に打たれるのを楽しむことすらできない。

最後に感じた雨は1ヶ月くらい前だ。

その日は確か晴れていた。晴れていたんだ。

だからアイツの顔が逆光で見えなかった。その時に降ったんだよ、アイツの目からポロポロ。

馬乗りになってオレを見下ろしながらアイツは泣いていた。頬に何粒も落ちる雫がオレの最期の雨だった。

本当に雨も何もかも通り抜けるんだな。

通路に戻って歩き続けないと。

罰なんだよ、オレの。

成仏出来ずにずーっと歩き続けるのが罰らしい。

アイツが首を絞める前に、オレはほぼ死んでいたんだ。自分でそうすることを選んだ。

いつかどこかでアイツに会ったら、その時は、

 

あぁ、雨が降っている

ロマン

てっきりここに書いた気になっていたのだけど、記事が見当たらなかったから、まぁ書こう。

逆接のロマン。
ナナサンは逆接にロマンを感じます。
逆接の後に現れないけど隠れた言葉、思い、行為。
そこに日本語らしさを感じてしまう。

恋すてふ わが名はまだき たちにけり
人知れずこそ 思ひ初めしか

この和歌を耳にしたことがある、という人も多いと思います。

忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで

この歌とセットだと思います。この二つが歌会で争われました。結果としては後者が勝つのだけれど、ナナサンは前者が好きです。

なぜか。逆接が効いているから。
「こそ」のかかり結びで、助動詞「き」が已然形「しか」に変わっています。
「こそ」「しか」ペアで逆接の意に変わります。

誰にも知られずに、あの人を慕い始めたというのに

という意味の下の句です。
ナナサンが逆接が効いていると感じるのは、上の句に逆接の後にくるパーツがいるから。
「まだきたちにけり」の部分ですね。
「もう」という意味の「まだき」、完了の助動詞「けり」

もう私の(あなたに恋してるという)噂がたってしまったよ

という意味です。まだき、のおかげで完了の意味合いが強いですね。

本来ならば、あなたを思い始めたばかりだというのにもう噂がたってしまった、という順序です。
日本語は大体、逆接の前より後ろの方が大切だといいます。
確かに事実として大事なのは噂がたってしまったこと。
けれど、この歌で言いたいのは前半部分。
あなたを思い始めたばかりだというところ。
それを後ろに持ってきて、逆接で締める。
「のに」の余韻を持たせる。
前半部分で敢えて、完了形を強調したのもおそらく、下の句の逆接表現、「のに……」を際立たせるためだと思う。
完了形で締めてしまうと、もうそこで終わり。
「~でした」「~しまった」
はい、そうですか、という感じだ。
そこを、完了で締めない。「はいそうですか」なんて言わせない。
完了ではなく、敢えて逆接、敢えて結末を濁すことで、普通なら噂がたって失敗しそうな恋なのに、逆転すら匂わせることが出来る。
歌にも匂わせてしまう、それほど、藁にもすがる思いが透けて見えたりするのだ。
渾身の一首。

だからナナサンはロマンを感じる。
穿ち過ぎなのだろうけれど、ナナサンは初めから壬生派である。

地味だってさ

カフェの店員のケバさ、敬語の使えなさ、声のデカさに苛立っているナナサンです、こんばんは。

ナナサン、今日は散髪です。

読書という趣味は、地味だそうです。
まぁ、派手ではない。
ナナサンの趣味の1つに読書は入っているが、突き抜けすぎて「地味」とは思われてないらしい。
なんか、ちょっと「ヤバい」匂いがする方向のようだ。

本を読んでいる間は何か特別なことをしているという感覚はない。
歩いてる間の方がよっぽど特別なことをしてる気がする。
なのに、本を読んでいる時は話し掛けられない。
他のことをしている時の方がよっぽど話し掛けないでほしい。
本を読んでいる時はボーッとしてるのと大して変わらない。
ところがどっこい、本を閉じて誰にも邪魔されず微睡みたいと思い目を閉じた瞬間に話し掛けられるのだ。
いやいや、なんでもっと前に話し掛けないのだ。
他の人はよくなくても、ナナサンに限っては本を読んでいるときに話し掛けてもいい、たぶん。
むしろ他のことをしているときに話し掛けないでほしい。

地味と思われるのが嫌で、趣味が読書であることを公言するのをためらっている諸君に告ぐ。
とにかく本を読みまくり、常に本を携えるようになれば、少なくとも地味は脱却できる。
「あー、なんか変なヒト」という評価のオマケ付きだ。

昔からやっつけ仕事

お題「読書感想文」

 

ナナサンは読書感想文は苦手でした。

文章を書くこと自体はさほど苦でもないのだけど、感想を書き出すと評論になってしまう。まるで本の後書きか解説になってしまう。

担任の先生にも感じたことを書くんですよ、と教わるのだが、感じたことの根拠やそれこそ文章を読んで感じたことを書くと評論文が一本出来上がってしまう。

はなから、大人の求めている「感想文」にはならないことが分かりきっているから、昔からやっつけ仕事。課題図書が発表される前から、適当に読んだことある本で感想文を仕上げていた。たぶん課題図書で作文を書いたのは2回だけ。

字数に上限があるのも納得がいかなかった。文章を書く貴重な機会を大人は無駄にしている、とがっかりしたものです。

 

読書感想文はろくなものにならないし、ろくなものを仕上げる気がなかったナナサン、小5の夏、ある有名な本で感想文を仕上げました。

太宰治人間失格

この小説が好きで、他に作文用に読む気もないナナサンは、これで感想文を書きました。

内容も、主人公を非難するわけでもなく小説の内容を怖がったわけでもなく、ただ淡々と、主人公は周りにいないだろうか、自分は人間「合格」なのですか?誰が合格失格決めるんですかね、主人公は人間を失格しても人間としてただ一切は過ぎていく中を生きていくんだよ、失格など存在していないし存在できないね、というもの。

そこに、いい子ちゃんぶって、ゲートキーパー的なものの存在も多少絡めてはみたものの。

結論:親が学校に呼ばれました

なんてありきたりな結末なのでしょうか。そしてナナサンは、母から担任にかねてから言われていた諸々を聞いて心底がっかりしました。

完全に小学校に行く意味をなくしました。

こいつに思考の結晶を出す価値はない、そう思いました。

(因みに小6の担任は最低でしたが、学校には通ってました。)

 

というわけで、読書感想文にはろくな思い出がありません。

未だに当時のようなシステムでやっているとしたらそろそろ考え直した方がいいと思うね。指定の出版社の本を買わせるためだけの口実にしか見えてこなくなってしまうよ。